熊本地震から一年半… Tweet Posted 2017年10月4日 by キムカズ 熊本地震発生から一年半経過の月となりました。熊本地震発生はもちろん今なお続く復興復旧の時間・・・。今夜の『週刊山崎くん』は今なお苦悩する二つの地域の住民の現状を紹介します。一つは阿蘇郡南阿蘇村立野。熊本地震で集落一帯が被災してしまい三人もの尊い命が失われてしまいました。辛く悲しい現実との日々が続きます。立野では山の崩落や断水で約350世帯が先の見えない避難生活を送っています。将来への不安は様々あることでしょう。以前の生活を取り戻すべきなのか・・・。故郷に戻るのか離れるのか・・・。現実と向き合いながらも時が経過するほど故郷への思いも募っていることと思います。私達ができること・・・。直接的なことはなくとも今なお続く復興復旧の現実を知ることは大切なことと感じます。もう一つは熊本城の城下町新町古町地区の様子です。昔ながらの風景を今なお・・・。城下町ならではの特徴ある地区ですので築100年を超える建築物も数多く残っています。ただ、熊本地震発生以降は状況が違います。多くの木造家屋は地震の影響で著しく傾き内外の壁も崩れ落ちてしまっています。修復には多額の費用が必要となりますが公的支援の見通しはなく解体か修復かの選択に迫られているのが現状です。歴史的にみて貴重な家屋ではあっても特別なものとしての扱いはない・・・。熊本の歴史を語る建築物とはいっても何が問題なのか?地域で暮らす人々の思いと併せてお伝えします。さて!一昨日からRKKラジオでの新番組『ラジてん』もスタートしています。ラジオ生放送後に山崎リハに突入です(笑)。がんばります!ラジオにはこんなイラストを送っていただきました。ありがとうございます。週刊山崎くんナレーターの須藤あきさんと共にまさにこんな感じの放送ですね。ラジオでも毎週火曜日の『くまもトーク』というコーナーで熊本地震からの熊本の姿を紹介していきます。私なりにではありますがテレビ&ラジオなどを通じて熊本地震からの復旧復興を忘れずできる限りの現状をお伝えできればと思います。秋の改編で益々やる気です。気張ります♪ Tweet 2つのコメントがあります 南区の肉じゃが 2017年10月5日 新町古町は 子供の頃。学生の頃良く遊びに行きました。 先日 車で通りましたが 私の知っている町が半分無くなった気がしました。 私事ですが 震災から一年過ぎた辺りから 灯りを消して寝ることが出来るようになりました。 ここ最近 パジャマ着て寝られるようになりました。 お風呂から上がって 何かあっても 直ぐ逃げられるように 普段着を着て 寝ていました。 大人でさえ あの震災の怖さを忘れられないのですから 子供の心の奥は どうなんだろう? 返信する キムカズ 2017年10月6日 熊本地震の影響はまだmだ消えませんね。 それぞれが それぞれの苦悩や葛藤があると思います。 生活再建の目処がたたないという現実を知ると 私としては とにかく風化をさせてはいけない。 様々な角度から 熊本地震からの復興復旧の状況を伝えていかなければならないと感じています。 返信する コメントを残す コメントをキャンセル
南区の肉じゃが 2017年10月5日 新町古町は 子供の頃。学生の頃良く遊びに行きました。 先日 車で通りましたが 私の知っている町が半分無くなった気がしました。 私事ですが 震災から一年過ぎた辺りから 灯りを消して寝ることが出来るようになりました。 ここ最近 パジャマ着て寝られるようになりました。 お風呂から上がって 何かあっても 直ぐ逃げられるように 普段着を着て 寝ていました。 大人でさえ あの震災の怖さを忘れられないのですから 子供の心の奥は どうなんだろう? 返信する
キムカズ 2017年10月6日 熊本地震の影響はまだmだ消えませんね。 それぞれが それぞれの苦悩や葛藤があると思います。 生活再建の目処がたたないという現実を知ると 私としては とにかく風化をさせてはいけない。 様々な角度から 熊本地震からの復興復旧の状況を伝えていかなければならないと感じています。 返信する
新町古町は 子供の頃。学生の頃良く遊びに行きました。
先日 車で通りましたが 私の知っている町が半分無くなった気がしました。
私事ですが 震災から一年過ぎた辺りから 灯りを消して寝ることが出来るようになりました。
ここ最近 パジャマ着て寝られるようになりました。
お風呂から上がって 何かあっても 直ぐ逃げられるように 普段着を着て
寝ていました。
大人でさえ あの震災の怖さを忘れられないのですから 子供の心の奥は
どうなんだろう?
熊本地震の影響はまだmだ消えませんね。
それぞれが
それぞれの苦悩や葛藤があると思います。
生活再建の目処がたたないという現実を知ると
私としては
とにかく風化をさせてはいけない。
様々な角度から
熊本地震からの復興復旧の状況を伝えていかなければならないと感じています。