他人事とは思わず…
Posted by キムカズ
日常、
これまで当然の如くできていたことが
突然できなくなってしまう。
その戸惑いは計り知れない…。
我家の灯かりをつけたとき
そんなことを考えた。
不自由なく電気が使えること。
蛇口をひねれば水が出ること。
それだけでも幸せなことなんですね。
大切にしなければ…。
そんな思いと同時に
震災のショックに加え、
不安な生活を強いられている被災者の方々の悲痛も感じる。
離れた熊本でも
何もできないはずはない。
昨日もお知らせしましたが
RKK熊本放送と熊本日日新聞社では
救援募金を募っています。
詳しい内容が分かりました。
http://rkk.jp/companyinfo/bokin/
また、
熊本県内の各自治体でも義援金箱を設置。
http://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/25/kenfuku-gienkin.html
http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/content/web/asp/kiji_detail.asp?Topics=1&ID=9586&LS=8
物資やボランティアについては
状況見ながらの対応になっているようですが、
産山村では熊本の水を送る準備がなされ、
上天草市では被災者の生活受け入れ体制を準備。
菊池市では5千万円の義援金を用意。
などなど、
本当に様々な動きがいくつもあっているようです。
もちろん
熊本県民一人一人が他人事とは捉えず
何かできないかを探っています。
当たり前だったことが
突然の災難で当たり前にできなくなってしまう…。
形は違えど
そのもどかしさや苦しみは、
私も10年前の昨日、
身をもって体験しました。
あれから10年…。
ただ、辛い現実と向き合いながらも
人の支えがあって
自分なりに乗り越えてくることができたと感じています。
微力でも
今度は私ができることを果たしたい。
そう感じている人、
たくさんいると思います。
今朝も地震で目が覚めました。
募金や節電、暖房はつけない。トイレのコンセントは抜く!
等、僕も自分にできる事をやって行きたいと思います。
助け合いの精神で!!!
御存知の通り上天草には普段利用されていない別荘がゴロゴロありますからねぇ。
希望される被災者にそういう別荘を使わせてあげる方法ってないのかなぁ?
単なる空き家と違って、別荘はいつでも使えるよう電気、水道、空調設備が整ってますからね。。。
住んでない人に連絡取るのって難しいんでしょうか?
天草だけでなく全国には使われていない住空間が沢山あるはず。
寒い避難所で仮設住宅の建設を待つ間だけでも、そういう現存建物を利用できるようになれば・・・
と、別荘地を行き来する度に思います。
別荘ではなくても
今朝の新聞によると
上天草市では空き家を利用しての被災者生活救済策を
練っているようです。
今は色んな募金の仕方があって、買い物で貯まったポイントを使うと言うものがあったので、取り急ぎ昨晩やってみました!
今日か明日には、熊日&RKKの募金にも協力したいと思っています。
今の自分にはそれくらいしか出来ませんから…
一歳の息子がいるので、赤ちゃんを抱えたお母さん達にオムツやミルク、衣類を送ってあげたい。
まだまだ着れるけど着なくなった服なんかも提供したい。
でも今は個人でしても迷惑になってしまうので、受入体制が整うのを待ちたいと思います。
物資に関しては
同じ思いの方も多いと思います。
受け入れ態勢が整っていない以上
今は何もできませんが、
今後状況が変わってくるとも思います。
上天草では未使用毛布やタオル、
ペットボトル入りの水の寄付を募っていて、
自治体によっても対応が違うようです。
HPでも紹介されています。
ニュースなどでも情報を紹介していきます。
先程、12時頃にRKKで義援金を寄付してきました。
生きていることに感謝していると涙が出てきました。
東京でも震度5で恐ろしい揺れでした。計画停電にも、これくらい協力しなくてはという思いで備えています
キムカズ殿
どうして自分のコメントは反映されないのでしょうか?
番組に携わるメンバーは
みな現実をありのままに伝えられるだけを必至に伝えています。
興味本位ではなく、マスコミで働く人としてです。
アナウンサーの読み方や震災に関する名称について、
ご意見としては真摯に受け止めます。
それ以上のことを調査しお応えできないのは
私の力量の低さとご理解下さい。
申し訳ありません。
当たり障りのないコメントを求めているわけではありませんが、
コメントを承認していないのは私の一存です。
ご了承下さい。
日々カウントされる震災犠牲者の数、なんだか感覚が麻痺して、慣れっこになってしまいそうだが、そんなわけにはいかない。災害はどこにでも起こりうるのだから、明日は我が身かもしれない。当たり前のことが当たり前にできる、それがどんなに幸せなことか、自分にそう言い聞かせた。