本震からも4年…


熊本県民としては
忘れることはできず
忘れてはいけない経験となった熊本地震
未明の発生ではありましたが
同じ震度7でも前震よりも強く激しい揺れを感じた本震。
マンションや家屋の倒壊は免れたとしても
我家の部屋の中でもこの通りぐしゃぐしゃな状況。
この状況を知りながらの仕事に
正直な思いとしては何を守るべきなのか葛藤を覚えました。
しばらくは車内での生活…。
私は家族と過ごすことはほとんどありませんでしたが、
車内でもなんでも
共に過ごせる時間はとても大切なもので、
日常の有難さをホント心底実感する日々でもありました。
天草の新一号橋。
今は天城橋という名もついて開通していますが
当時はまだ架橋工事の真っただ中。
橋のアーチが繋がった時
『がんばろう熊本』のメッセージには胸が熱くなったものです。
水前寺公園の池の水。
熊本地震発生後は
地下水の水脈になにか変化があったのか?
地盤の亀裂で水が抜けていってしまったのか?
水が干上がり白い池の底があらわにもなってましたよね。
心配でしたが
今は元の姿を取り戻しています。
本妙寺では
本堂に向かう階段横に並ぶ石灯ろうが
殆どといっていいほど倒れ崩れてもいました。
為す術がないといった感じ…。
どこもかしこも地震による被害を目の当たりにするばかり…。
辛かったですよね。
それでも
益城町に復興市場ができたと聞けば
周りの友人たちのみならず
県外の友人らからの要望なんかもあって
何かはしようと皆で出掛けることも多々ありました。
また、
復興・復旧に尽力いただいている皆さんへ、
励まし合おうという思いを共有している被災者へ、
支えあいと絆を信じ
熊本のいたるところで感謝の言葉が溢れ出しました。
ちょっと
パーマあてたくまモンみたいではあるけどね~。
がまだせ熊本を合言葉に
人を頼り、人を信じ、人の思いを大切にし、
いつしか熊本は
明るい未来の想像と創造ができる思いへとシフトをかえてきたんです。
今回もそうです。
熊本地震時の打撃とはまた広く深いものがありますが、
どぎゃんかなるはずですし、
どぎゃんかしていくしかないですよね。
そうするために
個人個人でできることを自覚し実行することしかないようです。
試練を糧にできる力は
熊本地震の経験のみならずですが
熊本県民には間違いなく培った何かがあるはずです。
熊本だけ良ければってことではありませんが、
私たちの足元から
しっかりと克服に向けて乗り越えていきましょうね。
改めて
がまだせ熊本!
がまだせ日本!
がまだせ世界!
コロナなんてクソくらえです。


2つのコメントがあります

村上貴裕

私もあの時は23日からボランティアセンターが熊本市で開催して4年たちますあの時を思い出すと泣けて今でも忘れませんこれからは負けんばい熊本

返信する