記憶にある方も多いと思います。
20年前の夏の高校野球の決勝戦。
熊本に初の深紅の大優勝旗がやってくるのか!?
県民の大きな期待のかかった大一番は
高校野球史上稀にみる接戦となり
甲子園の伝説の試合の一つとも言われています。
そんな当時のメンバーが熊本に集い
熊本地震が起きたこの年の復興支援試合として
再戦を果たそうと企画された
奇跡のバックホームから20年目の決戦!
先週の土曜日が決戦の日でした。
写真左側の男性が
惜しくもタッチアウトになってしまった星子氏です。
ちなみに
今は野球を愛する人が集うバー
「タッチアップ」というお店を経営しています。
なかなかやるでしょ!
しかも、このイベントの企画者でもあります。
決戦の日の先週の土曜日。
スタンドには
イベントに賛同した
熊本工業高校のOBブラスバンドも集いました。
そして
沢山の高校野球ファンの姿も見えます。
ホントに凄かった・・・。
やはり当時の試合にはいろんな思いがあるんだと感じます。
こちらは
復興支援のTシャツ。
販売しているのは
熊本工業高校OB、元読売巨人軍の山本光将さん。
伝統校らしく
本当に沢山の関係者が関わりながらでの開催なんです。
私も買いましたよ♪
しかし・・・。
無情にも天気は雨・・・。
グラウンド状態もさすがに厳しく
試合は中止となってしまいました。
そうそう実現できる企画ではないからですね。
本当に残念・・・。
こちらは
20年前の夏の甲子園決勝
当時の試合を記したスコアです。
この日のために準備されたもの。
実はこの企画には
選手達のインタビューなど私も参加しておりました。
伝説たる所以の始まり・・・。
それは
2-3で迎えた9回の裏。
2アウトランナーなしで迎えた熊本工業。
絶体絶命の中
当時1年生だった澤村選手が同点ホームランを放ちます。
それが真ん中の丸の付いたマーク。
起死回生の同点本塁打。
お腹辺りの低い位置での両腕ガッツポーズ!
熊本工業ベンチに帰る
あの時の歓喜と笑顔は忘れられません。
これが20年経った今も
澤村氏の顔が全然変わってないんですよね~。
そして
これが奇跡のバックホームのスコア。
延長となった試合の10回裏。
1アウト満塁で迎えたサヨナラのチャンス。
記録は記してある通り
『9-2TO』
ライトからキャッチャーへタッチアウト
という意味になります。
ライトへの大飛球を放った
3番の本多氏です。
打った瞬間は「決まった」と思ったそうですが
甲子園の風に若干押し戻されたのも
勝利の女神のいたずらだったのでしょうか・・・。
そんな話も飛び出します。
最高のスタートをきった3塁ランナーの星子氏。
ライトからのダイレクトバックホーム。
ホームベース上で砂煙が上がり
球審の右手が上がった瞬間
静まり返った甲子園には大歓声とどよめきに包まれました。
これが奇跡のバックホーム!
彼がその時にライトを守っていた
松山商業の矢野さん。
彼も全然変わっていません。
今は愛媛のテレビ局で仕事をしているそうです。
残念ながら
今回、試合は行われませんでしたが
急遽、バックネット裏で開催となったミニイベント♪
当時の選手達が
熊本工業のOBブラスバンドの演奏の中で入場です。
いや~、鳥肌が立ちました。
マスコミの数も半端ない・・・。
20年経過しているとはいえ
やはりあの試合は伝説の試合だったんですね~。
カメラまわりまくり・・・。
私も
あれこれ話を聞きながら
イベント進行していこうとも思ったのですが
他のカメラの邪魔になってもですね~。
カメラの後・・・。
隅から星子氏と臨機応変に進行しとりました。
進行は出たとこ勝負だったです(汗)。
すると!
なんてことでしょう!
松山商業の澤田元監督から一言
『年内に必ず再戦を果たしましょう』
当然のことながら
観客からは大拍手が沸き起こりました。
写真は
当時の熊本工業の田中監督の遺影です。
このような試合が
再びこうゆう形で企画され
当時の選手や関係者が
熊本地震復興への力になればと集うまさに絆。
スポーツの力!
教育の力ですね!
再戦の日程も決まったようです。
彼らの思いと行動力には頭が下がります。
11月26日(土)のようです。
詳しくは
また改めてお知らせしますね。
伝説の試合とはいえ
多くのファンや関係者が駆けつける中
まずは第一弾となった再戦へのストーリー。
とにもかくにも
次は雨が降りませんように!
ご期待ください!
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