熊本地震から一年


一年前の今日・・・。
最大震度7を観測した熊本地震。
よもやあの時のあの地震が前震となり
その二日後の未明に起きた大地震が本震になろうとは・・・。
自然の猛威には逆らえず
多くの犠牲と痛手をおった熊本。
今日という節目を迎えるまで
試練を糧に変えようと必死の時間を過ごしてきています。
前震発生時、
私は会社近くで食事中でした。
お店のグラスや皿が激しく割れる音。
そして、悲鳴に近い叫び声。
尋常ではない事態に驚いている間もなく
私の足は会社に向かっていました。
出社後はひたすら地震ニュース対応に追われる時間です。
あの時の自分を動かしていたのは
ただただ、
使命感というか
自分がやらなきゃ誰がやるんだという思いだけだったと思います。
前震の二日後、
本震発生時は私が泊まり勤務というタイミング。
ラジオスタジオに飛び込んで
地震情報や注意喚起を繰り返し伝えていたことも
記憶に新しいところです。
震源地となった益城町。
被災地に行くたびに感じる信じられないという思い。
殆どの住宅や建物が全壊または半壊です。
当然のことながら
今もなお復興復旧の日々は続いています。
本当に嘘のような現実です。
熊本地震により
多くの熊本県民が日常を奪われました。
日常の有難さを改めて感じた方も多いことでしょう。
もちろん私もその一人です。
コンビニエンスストアーなど
お店というお店の商品は全て消えてしまいました。
台風対策で品薄なんてことはありましたが
ここまでの状況は初めてです。
どこも混乱していましたね。
我家の台所です。
形あるものは壊れるといいますが
多くの家具や日用品が奪われました。
ほぼ全滅でした。
一日おいての二回にわたる大地震は
片付ける気力すら奪われたことを思い出します。
夜に起きた二回の大地震。
息子の帰宅拒否や電気を消すことへの恐怖感。
仕方のないことです。
避難所や駐車場がいちばんの落ち着ける場。
車中泊の日々も続きました。
エコノミークラス症候群対策。
なるべく足を動かしたり伸ばしたりでしたね・・・。
こんな状況もありました。
震災ゴミで埋め尽くされた歩道や道路。
フル回転ではあったでしょうが
ゴミの回収は全くというほど追いつかず、
積まれていく量は増えていく一方…。
出てしまうものは仕方なく
ただ、出していいものか?家に置いとくべきか?
成す術のないもどかしさがありました。
震災ゴミの回収だけではありません。
電気、水道、ガス・・・。
我家に関してはライフラインは全滅でした。
生活の必要で復旧が待たれる様々なことに関して
全国各地のナンバーをつけた車が
人海戦術の中、全力で復旧作業にあたってくださいました。
関西からの方には
『阪神淡路大震災の時の恩返しです』
涙が出そうな思いでもありました。
避難所での衛生管理もとても重要。
病気、怪我、ストレスなど・・・。
気に掛けることが多い上に
日常とはかけ離れた不自由な生活。
人の思いや考えもそれぞれあるので、
非日常の時が進むにつれ、
先行きへの不安が違う形で現れてしまうことも
多々ありました。
被災者としての生活は
まさに自分が何かに試されているような日々・・・。
熊本地震発生直後は
自身の冷静さを保つことに精一杯。
支えといえば
家族はもちろんですが
全国各地からの暖かい支援の思いを力にかえて
乗り切ってきたような気がします。
人の優しさに心からの感謝しかありません。
熊本市中央区でも地震の傷跡は様々な形で・・・。
このような状況も
いたるところで見られました。
熊本地震発生以降は
家屋倒壊や通行止めのあることが日常になったんです。
ちなみに
この倒壊現場に関しては
現在はこのような形で復旧しています。
食事処があったところなのですが
同じ場所でお店の再開も果たされています。
熊本地震で被災し
つらい現実に直面している日々・・・。
家族や自分のことで精一杯のはずなのに
そんな時でも、
人のために何かできないかを考え、
困っている人を助けられる術を探している・・・。
綺麗ごと抜きで人ってホントすばらしいです。
言葉を通してですが
私達、民放の各放送局も集結し
『支えあおう熊本 いま心ひとつに』という
共通メッセージを発信することとなりました。
支え合いの精神に
垣根は全く必要ないんですよね。
やがて
街中などで頻繁に見られるようになった
『負けんばい熊本』のメッセージ!
他にも
『がまだすばい熊本』
『どんなことがあっても大好きな熊本』
『みんなつながろう』など
様々なメッセージが掲げられるようになりました。
これも力になるものです。
突然の大地震。
放送局の一員として、
アナウンサーとして、
被災者の一人として、
何をすべきで、何ができるのか・・・。
この一年は常に自問自答の繰り返しです。
答えはありません。
ただ、
熊本への思いを感じるままに紹介し
熊本の今を見たとおりに伝え続けること。
自分らしく・・・。
自分なりに・・・。
今日は節目の日でもありますし
明後日の本震から一年を迎える日までは
熊本地震からの一年を
撮り溜めてきている写真と共に
綴っていきたいと思います。


8つのコメントがあります

山本大悟

心中お察し申し上げます。
あの日から1週間は、ただただ使命感だけで突っ走っていた気がします。
片付ける気力も失いました。
避難所の仕事中は自己を押し殺して仕事しました。
賃貸アパートの修理の目処が立たずやむを得ず熊本を離れる決断をしましたが、震災から逃げたという自責の念が心を悩ませました。
今でもその気持ちはあります。
熊本を離れると世間の雰囲気に愕然とすることが度々ありました。
今でも答えはでませんし見付かりませんが、この日を忘れず生きて行くことでしかないと思います。
御社にも差し入れを持参させていただきましたが、その時の表情には生きる力をいただきました。
ありがとうございます。

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キムカズ

それぞれの復活祭への歩みがあると思います。
これからも
我ペースで進んでいきましょう!

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コロコ

前震のあと、すぐにRKKをつけました。記憶によると、若いお兄ちゃんがたどたどしく伝えるアナウンス…襲う不安…と、そこに木村さんが交代し、情報を伝えてくれました。いつも見ている顔にホッとし、抜群の安定感。そして言葉に言い表せないくらいの安心を与えてくれました。私の自宅は県北なので被害はなかったのですが、妹夫婦が益城町在住なので無事を確認、そこから長い支援の始まりでした。
このことを木村さんにずっと伝えたいと思っていましたが、1年という月日が流れてしまいました。これからも熊本の顔でいてくださいね。そして私たちにたくさんの情報を伝えてください。テレビの前で応援しています!

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キムカズ

ありがとうございます。
一年前は必死の一言でしたが
これからも気張っていきますね。
どうぞよろしくお願いいたします!

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acco.s

たくさん いろんなことを発信してくださっていたのですね
本日FBで拝見させていただき もっと早く出会えていたらと思いました

キムカズさんのブログ
断りもなく 勝手に 自分のブログで 紹介させていただきました
熊本が 元通りになるまで 一日でも早く日常を取り戻す日が来るまで
ずっとずっと 応援しています
微力ながら 少しでも 熊本の現状が伝わりますように
心から願います

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キムカズ

ありがとうございます!
私なりでしかないですが
今後もよろしくお願いいたします!
熊本情報発信していきます!

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南区の肉じゃが

あの時は「自分がしっかりしなければ!病弱の夫と、高齢の両親
を 無理させずに どうにかしなければ!」の気持ちだけで動いて
いたように思います。
今でこそ 「恐かったね~」と言えますが あの時は言えなかった。

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キムカズ

我が家も家に帰れない日々が続きました。
日常のありがたさを実感です。

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